「あんた、夏休みの宿題どこまで終わった?」
「算数と理科は終わった。あと、漢字と社会のプリントだけ。」
「作文とか宿題以外の課題って出てないの?」
「読書感想文と自由研究があるけど、1日あったら終わるから大丈夫。」
「去年もそう言ってて終わらんかったやん。早く始めたら。」
夏休みの終わりが近づくと、日本の家庭では毎年のようにこんな会話が行われます。
計算ドリルや漢字の書き取りに比べて、自由研究や作文などの課題は後回しにされやすいからです。
親にとって気になるのは、子供の夏休みの課題が終わったかどうかだけでなく、内容がどうなっているかという点です。
課題を終わらせたのは良いものの、内容がいまいちだったり、字が汚かったり、そもそも宿題が出ているのを忘れている場合もあります。
夏休みの終わりに課題が進まなくて、親に手伝ってもらった経験のある人も多いのではないでしょうか。
今回は、子供の夏休みの課題を親はどこまで手伝って良いのかついて考えてみたいと思います。
夏休みの課題を頑張ると、表彰されるかもしれない
夏休みの課題が他の宿題と比べて良いところは、他の作品より評価が高かったものは表彰されるというところです。
始業式に提出した課題は、ある日突然、表彰状と一緒になって返ってきます。
全校集会で校長先生に名前を呼ばれ、顔を赤らめながら舞台に登り、表彰状を受け取る経験は誰しもができるものではありません。
友達や先生から「すごいね」、「頑張ったね」と声をかけられた思い出は、大人になってからも忘れることがないように思います。
こうした誰かの前で褒められたり、認められたりする経験は、子供にとって人格を形成する大きな要素になっていると思います。
一度賞を取ってしまうと、また次も頑張ろうと思えるからです。
そういった、頑張ったことへの証が得られる学習は、義務教育であるが故、平等にチャンスがあるとも言えます。
受験勉強で得られないこの優越感をゲットするゲームに、ぜひ親子で参加してみてはいかがでしょうか。
夏休みの課題は、計画通りに終わらない
夏休みの課題が苦手な人が多い理由は、その性質上計画的に進めにくい点にあると思います。
もし仮に、読書感想文で1日、自由研究で2日間作業する日を確保していたとしても、予定通り終わることは少ないでしょう。
なぜなら、読みたい本が見つからない、研究したい題材がなかなか決まらないことで、ズルズルと予定が遅れていくからです。
もしギリギリになるのが心配なら、やる気のある夏休みの前半に仕上げてしまうのもひとつの方法です。
あえて時間のかかるものを最初にして、後半は自分のペースで進めていくという計画です。
手伝う保護者の立場としても、予定が立てやすく、時間に余裕があるためイライラしないように思います。
また、読書感想文や自由研究は、制約が少ないという点も時間がかかる要因になっています。
内容や形式がある程度自由であり、明確な答えがないために、やる気がある子とそうでない子が生まれ、作品に差が出やすくなります。
実際にやってみるとわかりますが、文章を書くという作業は思っているより時間がかかります。
そのため、3枚以上という条件の場合、2枚とちょろっと書いてギリギリノルマを達成しているケースも多そうです。
スマホのキーボードを打ち慣れている世代にとっては、紙に文字を書く作業はコスパの悪いものになっているのかもしれません。
もし、文章の内容を重視するなら、手書きだけではなく印刷したものもOKとしていったほうが良い作品が出てきそうです。
夏休みの課題を手伝うレベルは5段階
親が子供の夏休みの宿題を手伝う場合、関わり方の度合いには5段階があります。
- すべてを子供だけで行い、親は確認しない
- 基本子供だけで行い、出来上がったものを親が確認する
- アイデア出しから確認まで子供+親で行う
- 基本親主導で進めて、子供+親で作業を分担する
- ほとんどを親主導で進める
一般的に良しとされるのは、おそらく②③の子供主導で行い、親がサポートするというものです。
ただ、実際には子供だけで完成させるのは難しく、結果的に、親が作業する割合が多い④⑤になっていることがあるように思います。
最初は二人でやっていたものの、子供が飽きてしまったり、思うように進まないことで、親が痺れを切らして全てやってしまうというパターンです。
親が手伝いすぎるというのは褒められたものではありませんが、まず手本を見せるという点では、ある意味必要な作業であるように思います。
こうしてみると、一番避けるべきは①であるような気がします。
子供がつくった作品がどんなものかを確認しておくことで、賞を獲得する確率がグンと上がります。
例えば作文であれば、誤字脱字がないか、句読点が適切に打てているか、段落や鉤括弧で1マス開けているかなどを確認しなければなりません。
例えば自由研究であれば、提出する際の条件や、学年に見合った研究になっているかを事前に確認しておいた方が良いでしょう。
内容云々の前に、ルールを守れていない作品になっていると、評価の対象に入ってこないからです。
いやいや、⑤もダメでしょうと言われそうですが、学びという意味では得られるものがあるように思います。
もし親が作った作品が良い評価を得て表彰されたら、子供はどう思うのか。
また、もし親が作った作品が良い評価を得られなかったら、子供はどう思うのか。
受け取った先生に「かなり手伝ってもらったんじゃない?」と、見抜かれたときにどうするのか。
「代わりにやってもらってラッキー!」と思っていたことが、後になって後悔することになるかもしれません。
私たちの夏休みの課題の思い出は、できあがった時の達成感や表彰された記憶だけではなく、こうした感情の揺れの記憶でもあるように思います。
夏休みの課題は、客観的な視点が欠けやすい
一番避けるべきを、①のすべてを子供だけで行うとしたのには、他にも理由があります。
自分で描いた文章は、無意識に思い入れや補足情報が入ってしまうため、間違いに気付きにくいからです。
自信満々で読んでもらった作文が思ったより反応が悪いのは、そういった感情のバイアスがかかっているからです。
そのため、でき上がった作品に対し自分以外の誰かに見てもらうという確認は必ず行うべきです。
これは大人においても同じで、自分の書いた文章を誰かに読んでもらうとおかしなところが見つかりやすいです。
もし、確認してもらう人が見つからない場合は、グーグル翻訳ツールを使うと良いと思います。
グーグル翻訳ツールには、テキストを読み上げる機能がついているため、自分の書いた文章を客観的に聞くことができます。
人は目で見ている文章よりも、耳で聞いている文章の方が間違いに気付きやすい傾向があります。
また、文字数カウンターがついていますので、規定の文字数になっているかを確認することができます。
本来の翻訳で使うのではなく、読み上げ機能と文字カウント機能を使うことで、確認作業の効率が上がります。
提出物を自分以外の誰かの客観的な視点から確認するというのは、社会に出てからも必要な作業です。
夏休みの課題の目的って何だろう?
ある小学校の先生はこう言います。
「課題や提出物を見ると、保護者が家庭でどれだけ子供に関わっているかが分かる」
学校の先生は、こういった提出物を見て、保護者がどれくらい関心があるかを把握しているのだと思いますが、このことは夏休みになぜ課題がでるのかを示唆しているようにも見えます。
つまり、夏休みの課題は子供の宿題であると同時に、保護者の宿題にもなっているということです。
解答の付いているドリルやワークノートをするのは、子供だけでも終わらせることができます。
しかしながら、作文や自由研究の課題は、本を買ったり材料を揃えたりと、何かしらの助けを借りなければなりません。
そういった親子で行う共同作業を、意図的に促している宿題であるように思います。
決まった正解がなく、自分次第で如何様にもコントロールできる課題を、どれだけモチベーション高くできるかどうか。
自分の作品について、自分以外の誰かが述べた良い悪いの評価を素直に受け入れられるかどうか。
夏休みの課題を関わる誰もが納得できる質で仕上げるには、その目的や意図をしっかり把握することが大切であると言えます。
夏休みの課題は、社会で認められるための訓練である
小学校と中学校を合わせると、少なくとも十数回は課題を提出することになります。
ついつい後回しにされがちなこの宿題を仕上げるには、課題の目的をしっかり把握することが大切です。
そして、課題の目的はそれぞれの家庭の教育方針や子供の学年によって変わってくると思います。
課題に初めて取り組む小学生であれば、アイデア出しやまとめ方を親が教えながら一緒に進めていくことが必要となります。
中学生なら清書をする前の下書き段階で、親に読み聞かせをするなどの客観的な確認があったほうがよい作品になりそうです。
もし、本気で賞を狙っていくなら、子供を主としながらも要所要所で親が手伝い、一緒に作ったんだろうなと想像させる作品のほうが良いのではないかと思います。
さらには、親が夏休みの課題を本気で手伝うなら、子供と一緒に童心に帰り、子供と同じ視点にならなければなりません。
読み手が主人公に投身でき、同じ景色を思い浮かべる作文には、題材にしっかりと向き合う素直さが表れているからです。
こうした大人の心を打つ文章には、「無難にまとめよう」という下心がなく、素直な感情が子供の言葉で書かれているはずです。
そして、その素直さを表すには、楽しかった面白かったというありきたりで抽象的な言葉を用いてはいけません。
また、多くの人が共感する自由研究には、読み手の視点が入っていることが重要です。
自分の興味や関心があることが、読み手にとって興味や関心があるとは限らないからです。
題材を深掘りし、インターネットや書籍だけでなく実際に足を使って調べ、図や写真を使ってわかりやすく説明する。
たくさんの人に読んでもらうためには、知識のない人にもわかりやすく、見やすいレイアウトや色使いにしなければなりません。
みんなに「よくできているね」と言われるレベルにするには、こうした下調べや推敲する日数が必要となるのです。
この、バタバタと夏休みの終わりに済まされがちな宿題は、実は社会に出て、自分以外の誰かに認められるための訓練になっています。
答えのない課題に向けて、自分以外の誰かと協力しながら、自分以外の誰かが共感する作品をつくっていくからです。
そう思うと、日々私たちがしている仕事は、実は子供たちが夏休みの課題を通して学んでいることと似ているのかもしれませんね。