胸に手をあてて、思い出してみよう。自分のベストプレーを。
体を張ったディフェンス、気持ちの入ったドリブル、ピンチを救うビッグセーブ。
目の覚めるようなトラップ、豪快なシュート、終了間際の決勝ゴール。
観客の歓声、駆け寄ってくる仲間、手を挙げて喜ぶコーチ。
サッカーをしていると、こういう場面に出会うことがあります。
瞼の奥に刻まれた記憶を思い出すことで、背中が熱くなり再び高揚感を味わうことができます。
“最高のプレー “という飴玉を舐める
最高のプレーは、自らを肯定する飴玉のようなものです。
最高のプレーは、その後の自分を何度も肯定してくれます。
自分の最高のプレーを思い出して、ニヤニヤとしてしまう。
そういう時間が未来の自分の礎を作っていくように思います。
最高のプレーをことばにしよう
スマートフォンをはじめとしたテクノロジーの目覚ましい発達で、私たちは優れた映像を手にすることができるようになりました。
その映像は、様々な記録メディアやデバイスに保存されていますが、「いつでも見れる」という安心感から、多くは記憶に残るものになっていません。
ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、ロストフの14秒など人々の記憶に残るシーンは、必ず記憶を呼び起こす『ことば』として残っています。
子供たちの最高のプレーを家族の記憶に残していくには、共通の記憶を呼び起こす『ことば』に置き換える必要があります。
『ことば』がスイッチとなって、頭の中に残る映像を再生してくれるからです。
「春の逆転勝ちした試合すごかったよね」
「先週の決勝戦の最後のドリブルはかっこよかったわ」
「1年前のあの時のボレーシュートはミラクルだったね」
『ことば』を発することで当時の映像や記憶がよみがえり、あの時はこうだったなと心地よい高揚感に浸ることができます。
子供たちの素晴らしいプレーや感動する試合は、映像だけでなく具体的な『ことば』としても残していく。
そして子供たちは、『ことば』によって自分の足跡を称えたり、家族や支える人たちの存在に感謝することが大切であると考えています。