何かを辞めることは、何かを続けることに繋がっているという話

『石の上にも三年』

この言葉を聞いて、皆さんはどんなことを想像しますか。

「辛いことも3年は我慢しなさい」という意味のこの言葉は、しばしば年長者から若者への訓示として使われます。

 

一方の言われる側は、「そんなこと分かってるよ」と思っていても、なかなか口に出すことはできません。

特に、学校や仕事など、続けている人が多数の中においては、辞めることはある種の諦めであるかのように捉えられがちです。

また、「辞めたいな」と思っていても、それを誰かに言えずに我慢しながら続けてきた人もいるのではないでしょうか。

 

今回は、そんなネガティブなイメージのある『何かを辞めること』について考えてみたいと思います。

 

なぜ、辞めることにネガティブなイメージがあるのか


最初に、なぜ辞めることにネガティブなイメージがあるのかについて考えてみます。

『石の上にも三年』に象徴されるように、続けることが美徳であると教えられてきた世代にとっては、『辞める』=『我慢が足りない』という印象があります。

特に年長者は、何かを続けて成功した経験があるがために、辞めるという決断を『我慢が足りない』という結論に結び付けがちです。

 

確かに、学校や仕事を辞める理由は、何か問題を起こしたり環境に馴染めなかったという側面があります。

また、職を転々としている人は、辛いことを避けたり飽き性であると判断される可能性があります。

大事な決断をする人は概ね年長者であり、安定を求める傾向が強いので、ネガティブなイメージにつながってしまうという訳です。

何か辞めたという事実は、その後履歴書や経歴書として残っていくことも、辞める選択をしにくい理由になっていると思います。

 

サンクコスト(埋没費用)について考えてみよう


行動経済学にはサンクコスト効果という考え方があります。

サンクコスト効果とは、一度時間や労力を使って始めてしまうと、たとえ今がマイナスに感じていたとしてもそれを継続してしまう傾向のことです。

どんな決断をしても取り戻すことができないコストであるにも関わらず、「もったいない」と思うが故に判断を誤り、続けざるを得ない状態になってしまいます。

 

サンクコストの例として代表的なものは、これいいなと思って買ったままになっている洋服です。

いつか着るかもと思いながら、長い間クローゼットに眠っている洋服ってありませんか?

仮に1万円のワンピースだとすると、この1万円が既に支払った費用、すなわちサンクコストになります。

洋服を捨ててしまうと1万円の損になり、仮にリサイクルショップで半額で売れたとしても5千円がサンクコストになります。

決断をすることで損が確定してしまうため、なかなか決断ができないという訳です。

 

学校を辞めてしまうと勉強した時間が無駄になってしまいますし、仕事を辞めてしまうと職場での経験や人間関係がゼロに戻ってしまいます。

そういうことを考えているうちに、どんどん深みにはまってしまい体調を崩したり正しい判断ができなくなります。

 

もし、あなたがもったいないからとか、ここまで続けてきたからという理由で辞めるかどうかを迷っているなら、サンクコスト効果に惑わされているのかもしれません。

 

“ いつもと同じ ”を見つけ、そして捨てる経験をしているか


人は無意識に“ いつもと同じ ”を好み、“ 変化 ”を避ける傾向があります。

いつもと同じである方が、経験を活かして予想しやすく安心できるからです。

毎日同じものを食べる人、電車の同じ車両に乗る人、スーパーで同じものを買ってしまう人は、“ いつもと同じ ”行動をすることで安心感を得ています。

 

わざわざリスクを冒してまで新しいメリットを追い求めたくない。

年を取り経験や知識が増えていくにつれ、そういった防衛反応は強くなっていきます。

そのため、様々な変化を前に『石の上にも三年』という言葉を使いたくなるわけです。

これはまさにチーズはどこへ消えた?に登場する小人ヘムのようです。


チーズはどこへ消えた?
扶桑社BOOKS (amazonより)

 

私たちが好む“ いつもと同じ ”や“ みんなと同じ ”は、忍耐力や協調性を養ってくれる一方で、やってみたいという好奇心を阻害するものになりがちです。

 

いつもと同じを捨てて、居心地の良い安心の輪から飛び出す経験をしてきたかどうか。

そして、勇気を持っていつでも輪を飛び出す準備をしているかどうか。

 

若者はこういった視点から、話を聞いたり相談する年長者を選ぶべきです。

いつもと同じから飛び出したことのない人や、飛び出した人を批判している人のいうことなんて聞く必要はありません。

多くの人は、子供のころからずっと続けているものなんてほとんどなくて、色んなものを辞めたり諦めたりした中から、ようやく続けられるものを見つけています。

そこを理解していれば、若者が何かを辞める決断をしたことは前向きに受け入れて良いのではと思います。

 

何かを辞めることは、何かを続けることに繋がっている


変わり続ける。

変わらずにいるために。

かつて、suchmosはヒットしたスタイルを捨てて、全く新しいサウンドに“ 変化 ”しました。

メジャーになったsuchmosしか知らないファンは、新しいサウンドが理解できず、非難したり離れたりしましたが、彼らからすると今までと変わらない“ 変化 ”だったと思います。

食べ物や着る服が年齢や気分で“ 変化 ”するように、その時々で自分たちが一番心地よいと思う音楽を奏でる。

それが、この『変わり続ける。変わらずにいるために。』という18文字に表れています。

 

何かを辞めるというのは、続けることの反対の意味でとらえられがちですが、実はそうではありません。

例えば、サッカーと水泳など習い事を2つ以上している場合、ひとつを辞めたとしても残りのひとつは続けることになります。

体を動かすという観点においては『石の上にも三年』が継続しており、自分には合わなかったという判断は『一寸の光陰軽んずべからず』の教えに沿っています。

 

例えば、仕事を辞めるというのは勇気のいることですが、本業以外に副業をしている人であれば、どちらかを続けていくことができます。

しかも収入がゼロになることがないので、今までのスタイルを大きく崩れるのを回避することができます。

この場合も『石の上にも三年』と『一寸の光陰軽んずべからず』の教えを併用しているといえます。

辞めることでゼロになるのではなく、続けることが切り替わっていくイメージです。

 

小さなチャレンジを数多く経験し、小さなフィニッシュを数多く経験する。

辞めるという決断をしながら、続けることを切り替え、小さな“ 変化 ”を繰り返すことで、本当に好きなものや続けられるものが見つかり、その人らしさに磨きがかかっていく。

それは、自分の表面に溜まっていく垢や瘡蓋のようなものを、自ら剝いでいく行為に似ています。

何も知らない周りの人からは、その新陳代謝がブレのない一途なものに見えているのかもしれません。

 

「続けたほうがいいよ」

「辞めるのはもったいないよ」

つい口に出してしまいそうになるこの教えは、本当に目の前の若者のためになっているのでしょうか。

 

年長者が必殺技のように使う故事成語は、時として矛盾していることがあります。

私たちが若者へ伝えるべき教えは、『石の上にも三年』と『一寸の光陰軽んずべからず』のどちらかではなく、その両方を享受できる方法がないかを、一緒に考えることであるように思います。

サッカーを続けることと同じくらいサッカーを辞めることを考えていこう

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